『粥村で聞いた話』とか『ホビット庄のうわさ話みたいに確か』でないなんていいまわしがあるからな
(旧訳『二つの塔』下96ページより)
指輪新訳になって、Nindalf の片仮名表記がニンダルフよりニンダルヴに変更されたのは有名(?)な話ですが、Gandalf の表記はいかに?
ガンダルヴ?
さんからコメントを頂きました。
UNFINISHED TALESのTHE ISTARI(George Allen & Unwin 1980ではp.399)の中で
Gandalf is a substitution in the English narrative on the same lines as the treatment of the Hobbit and Dwarf names. It is an actual Norse name
Gandalf must be supposed to represent a Westron name,
とあります。
発音についてはどうなんでしょうね。「現代化された形」とみなすべきなのか、確かに元はGandalfrだったのでしょうけど。ドワーフの名前の発音と同様に以前からひっかかっています、私も。
さんからコメントを頂きました。
『エッダ』中『巫女の予言』12節では、Gandalfrという名前がありまして、古北欧語古ノルド語では、fは有声音に挟まれるとき濁音になるという性質があるので、vという発音になる、ということがあります。実際、この性質は古英語にも見られる、ゲルマン語に共通の性質ですが、トールキンの言っていることはこれに基づいていると、私には思われます。この古ノルド語の語末のrは、主格を表す主格語尾でして、現代スカンディナヴィア語(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー語)では、表記されず省略されるのが普通です(つまりは発音されなくなったのです)。同様に、英語翻訳者たちも(英語では古英語以来、主格語尾は存在しないので)発音はいかなるものであれ、北欧語から翻訳する際にはこのrを表記しないのが慣例となっています。トールキンはもちろん古北欧語についても学んでおりましたし、慣例に基づいてrを表記しない一方で発音についても自分の言語感覚からvという発音にする旨を記したのだと思います。
ヴェイグ(35)にガンダルヴ(36)、ヴィンダールヴ(37)、スラーイン(38)、セック(39)にソリン(40)、スロール(41)、ヴィト(42)に、リト(43)、ナール(44)にニューラーズ(45)、それにレギン(46)とラーズスヴィズ(47)の二人の小人の名もあげよう。
訳注
- 35 Veigr 強者。
- 36 Gandálfr 魔法の心得のある妖精。
- 37 Vindálfr 風の妖精。
- 38 Þráinn 頑固者。
- 39 Þekr 気持ちよい者。
- 40 Þorinn 無鉄砲者。
- 41 Þrór 実り豊な者。
- 42 Vitr 賢者。
- 43 Litr 色のついた者。この名の小人はよく登場する。
- 44 Nár 死者。
- 45 Nýráðr 新しい案を決めた者。
- 46 Reginn 権力者。
- 47 Raðsviðr 賢明な決定をする者。
『エッダ-古代北欧歌謡集』谷口幸男訳(新潮社)10、18頁
粥村で聞いてみたい話として、サムが指輪をはめてフロドを捕えたオーク共を追い、洞窟の中で扉に当って気を失いますね。それから次に、一体どの段階でサムが指輪を外したか、僕はどうしても分らないんですが、誰か御存知の方はいないでしょうか?山田 隆志さんから、
旧版『王の帰還』下13頁にあるとのお知らせをいただきました。新文庫版では14頁、新普及版では13頁です。
さんから、その直前、12頁に「ふたたび指輪を引っ張り出して指にはめ」たとあります・・・・。
との補足をいただきました。
影山さんのご指摘のとおり、「王の帰還 下 13頁」(旧版)の「かれ(サム)は指輪をはずしました」という件は、同 12頁の「かれはふたたび指輪を引っぱり出して指にはめました。」という場面をうけての文章なので、サムはこの12頁の場面より以前に指輪を外しているはずなのです。同 9頁において、
かれはオークの要塞の地下門の外のまっ暗闇の中にいたのです。とありますから、「二つの塔 下 271頁」にある
トンネルの中はかれにはもうそれほど暗くは思われませんでした。むしろ薄い靄の中から抜け出して濃い霧の中に踏み込んだような感じでした。というトンネルの見えかたの文章を考えると、「王の帰還 下」の冒頭でサムが気を取り戻す時にはすでに指輪は嵌っていず、彼の視力も通常の状態に戻っているような気がします。
しかし、「二つの塔 下 282頁」に
それとも指輪の与える聴力のいたずらか、距離の判断を誤っていたことに気づきました。とあるように、サムは門にいたる最後の角をまがるギリギリまで、指輪を嵌めていたらしいことが伺えます。この後「二つの塔」の中で「恐ろしい喧噪が一時にどっと湧き起こる」のを聞き、「喚きながらつらぬき丸を振り回し」、門の「真鍮板に体ごとぶつかり」、「意識を失って地面に倒れま」す。
この間に指輪を(走りながら)はずしたのか、気絶している間に指から抜けているのか、どうも腑に落ちないんですよね。
些細なことなのですが、とれそうでとれない魚の骨のような疑問なのでどなたか知っていたら教えてください。『旅の仲間 上巻』でフロド達が最初に出会ったエルフのリーダーがギルドールですが、彼は「フィンロド王家のギルドール・イングロリオン」と名乗ります。(新訳の文庫版を読んでます)
しかし、『シルマリルの物語 下巻』の家系図にはギルドールの名前は見あたりません。これはのどっちなんでしょう?(ホントしょうもない疑問ですね)
- 家系図に出てこないフィンロドの血縁
- フィンロドに仕えていた家来
また、ギルドールはフロドを「『エルフの友』と呼ぼう」と言います。シルマリルの物語の読むと「エルフの友」ってかなり重要な呼称のような気がするのですが、出会ったばかりで「エルフの友」というのもなんか軽々しいのでは? ビルボの跡継ぎだからかな? それともフロドの偉さを見抜いていたからでしょうか?
ギルドールは物語の初めでフロド達を助けてそれっきり出てきませんがそれなりに重要な人物だと思うのですが・・・。
A これだけ楽しめるのは決して「しょうもない疑問」ではないからでしょう。
ということで、188頁の方も見てみると、At this time Finrod was the name of the third son of Finwë (First Lord of the Noldor). This was later changed to Finarfin, when Inglor Felagund his son took over the name Finrod (see I.44), but my father did not change ‘of the house of Finrod’ here (FR p.89) to ‘of the house of Finarfin’ in the second edition of The Lord of the Rings. see further p.188 (end of note 9)
この時点[初期の草稿の書かれた1938年]で、フィンロドはフィンウェ(ノルドールの最初の王)の三男の名前でした。後にこれはフィナルフィンに変えられ、このとき彼の息子イングロール・フェラグンドがフィンロドの名を受け継いだのですが(第1巻The Book of Lost Tales 44頁参照)、父[J.R.R.トールキン]はここ(『旅の仲間』上143頁)の「フィンロド王家の」を「フィナルフィン王家の」に『指輪物語』の第2版で変更しませんでした。詳細は188頁(註9の最後)を参照ください。
とのことです。A very surprising point is the mention, a little later in this text, of Finrod Inglor the fair (see p. 72). In the first edition of LR (Appendices) Finrod was still the name of the third son of Finwë as in the Quenta Silmarillion, and his son was Felagund (in QS also named Inglor); it was not till the second edition of 1966 that Finrod son of Finwë became Finarfin, and his son Inglor Felagund became Finrod Felagund.
非常に注目すべきこととしては、この草稿の少し後に、「金髪のフィンロド・イングロール」という記述があることです(72頁参照)。初版の『指輪物語』(追補編)では、「クウェンタ シルマリルリオン」[『シルマリルの物語』所収]のように、「フィンロド」はまだ、フィンウェの三男の名前で、彼の息子は「フェラグンド」(「クウェンタ シルマリルリオン」では、「イングロール」でした。)で、フィンウェの息子フィンロドがフィナルフィンになり、彼の息子イングロール・フェラグンドが「フィンロド・フェラグンド」になるのは1966年の第2版になってからのことでした。
が分かります。ただ、これがJ.R.R.トールキンの見落としなのかは書いてありません。
(エルロンドも忘れていた)ボンバディルにフロドの逃走を伝えたのも、また黒の乗手の出現を馳夫に伝えたのも彼(&彼の身内)です。 エルベレスを讃えながら星空の下を逍遥する彼は、あえて定住を避ける星(gil)のエルフといったところでしょうか。
私は、かつてフィンロドの高位の臣下として中つ国に渡ってきた、正真正銘の「光のエルフ」の一人なのではないかと推測しています。
もちろん当時、the Houseは「(王侯・貴族等の)家」で、「王家」のみを指すのではありませんから。あくまで憶測ですが、側面的な手がかりとして、彼がフロド達に同行したことを、「序章」の最後の一文と関連させて考えています。また、ガンダルフがこれはグロールフィンデルについてフロドに語った、「He is an Elf-lord of a house of princes.」も参考になります。なんにせよ、もしフィンロドと同時代に生きていたのなら、少なくともエルロンドよりは年上でしょう。英語の敬語表現は、日本語のほとんど回避不能なそれとは異なっていて、この問題を完全に解決できる翻訳は原理的に存在しないのではないか、とすら思っています。
ギルドールがフロドにその称号(?)を与えたのは、黒の乗手が彼を追っていること、そして明確ではなくともその理由を大体察した後のことであり、いわば「通行証」としてその言葉を発した側面もあったと私は推測しています、それをフロドが理解していたかに関わりなく。無論、フロドの人となりを判断する機会はそれまでにもあったでしょうし、またビルボに対する評価を後継者が引き継ぐ面もあるでしょう。しかし、フロドがエルフ語で挨拶を返した時ではなく、状況を把握した上で、おもむろに口に出された「エルフの友」の言葉…。私はむしろ、あのやり取りにかえってその「重み」を感じています。(無論、何回となく読み返した現在では、ということです(笑)
シンダアルであるスランデュイルは、指輪のことには気づかず、あるいはそれとは別に、ビルボの人格と行為に対して「友」と呼びます。これはいわば、エルダアルとエダインの初期の関係性に近いのでしょう。また裂け谷におけるビルボとリンディアの対話の牧歌的なこと…対照的に、ノルドオルであるギルドールが、突き詰めればノルドオルの産物でもある幽鬼、そしてかの「大いなる敵」を背景として口にした「友」は、悪くいえばより便宜的、しかし相互の運命と歴史を見据えている、という意味ではむしろ切実な共感と罪悪感?の裏打ちがある様に思います。フィンロドが「人間の友」と呼ばれていたことも思い出します。そして、エルロンドが会議の終わりに挙げ、フロドがそれに加えられるという四人の英雄はいずれも、とりわけノルドオルにとっての「英雄」です。
もちろん、状況に関わらずフロドに「エルフの友」の資格があることはゴールドベリの言葉からも判りますし、またギルドールも、同じく漂白する者としての個人的な友情をも感じているのでしょうが。
ちと暇を利用して…、というより現実逃避気味に(笑)、粥村の更新箇所を改めてじっくり読ませていただき、ちょっと『指輪』や『シルマリル』の参照なぞしてみました。
初版で「館」なのが、8刷で「王家」? 活字を組み替えたらもう「初版」じゃない筈なのに(笑) 歴史研究者としては迂闊千万な話ですが、私が主として使うのは新聞と統計記録と増刷などされない専門書がほとんどなので…(汗)お金があまりなくてもやってけてるのは、金を積んでも手に入らないものばっかなんで(笑) コピー代はかかりますが。初版初刷本が高いのは、稀覯性だけではないのかなあ…Gildor Inglorionについて…
Lómionを「訳す」ならば確かにSon of Twilight。しかし、-ionというのは、もちろんson ofを含みつつ、もっと広い意味あいで使われる、つまりはクウェニャ語の形容詞化語尾なのではないでしょうか。例えばtilが「角」で、Tilionが「角のある」。Quenta Silmarillion、が「Silmarilの物語」なのも明白。他にも多数、散見できるように思います。指輪の世界には、「~等と呼ばれる」の表現が頻出します。これは例えば、ランスロットが「湖の騎士」であったり、ガラハッドは「善良なる」、ドン・キホーテは「憂い顔の」という具合なのに近いかと思います。エオル王家の場合、Eorl the Young、Aldor the Old、Éomer Éadig、と原書でも英語化されたりされなかったりですが、これらは尊称でもあだ名でも称号でもあるのでしょう。これは自分で勝手に付けてもよいわけで、ゴンドールの王達のロメンダキルやウンバールダキルもこうした称号。そして「エレサールすなわちエルフの石」というクウェニャ名も、やはりこうした文脈でとらえるべきなのでしょう。トゥーリンの生涯にいたっては、まさに異名の列挙がそのまま彼の悲劇となります。(もっとも上には上がいて、木の髭の『これはわしの名前の一部でここを表すんじゃよ』からして、エント語はまさにこのシステムがそのまま言語の根幹になっているらしい)
エルダアルでは、例えばBeleg Cúthalion、「強弓のベレグ」Cúthalionだけで「強弓」みたいですが、しかしthalionがすでに「強い、豪胆な」という形容詞。「強さ」を意味する、おそらくthal-という語根の存在が想定できます。
Lómion, Ereinion, Eldarionいずれも「アラソルンの息子アラゴルン」のような具体的な系譜を示すものではない。クウェニャ語かシンダアル語かははっきりしませんが、誰かの「世継」「形見」を意味させる例は別に示されていて、つまりEluchíl, Elurín, Elurédいずれもその関係性を示すと思われる部分に長音記号があるのが特徴的。
一方、英語のsonには雅語的な用法があって、辞書には例えばa son of the soil「土の子=農夫」といったものが載っていました。
以上の材料から推論しますに、例えばあるエルフが自分の子にthalionと名付けるのは、日本人が「つよし」と命名するのに似たものなのではないでしょうか。Anárionは、もちろん親としては「太陽の子」なのだけど、対等な者から見れば「太陽の人」、王としてなば「太陽王」といった印象なのでは、と思います。Anárionと対になるIsildurは、なぜIsilienではないのか? シンダアル語ではそれぞれAnorien, Ithilienと全く共通の語尾で土地呼称になっている以上、語幹の違いから語尾変化が異なる、とは考えにくい。まだ確信は持てないのですが、-durで終わるクウェニャ語の人名・エルフ名に、長男ではない、とはっきりわかる人物が見当たらないあたり、-ionとはかなり異なった性質の語尾ではないかと思っています。
そしてInglorionもやはり「Inglor」というエルフの息子という意味ではなく、Inglorの子、Inglorな子、Inglorであるエルフ、なのではないでしょうか。ではInglorとは何か? 『シルマリル』索引のグロオルフィンデルの項や、語根解説の「laurë」の項その他を参照すると、少なくとも-glorの部分はシンダアル語で金(髪)を示しているように思えます。In-についてはほとんど材料がありませんが、ただこれで始まるエルダアルの名前は2つだけ、いずれもヴァンヤです。そしてヴァンヤアルのヴァンヤとは「色白金髪」の意、とも書かれています。山梨さん御紹介のトールキン自身の推敲過程とも考え合わせますと、Inglorionとはまさしく「金髪の」という意味にほかならない。
Gildor Inglorion of the House of Finrod
「フィンロド家中のギルドール・イングロリオン(=金髪の)」そしてあるいはそこに、全エルフの長上であるヴァンヤアル族への崇敬から「高貴な」といったニュアンスが加わっているのではないか、と想像しています(これは多分暴走)
GildorのGilはおそらくシンダアル語の「星」、美しく、しかし広大無辺な多義性を持っています。『シルマリリオン』に同名の人間も登場するように、それはエルフとしてはあまりに平凡な名ではないでしょうか、象徴的なまでに。Gildorをクウェニャに訳すと、まさにEldarになってしまいはしないでしょうか。彼はノルドなのですから、Gildorの方が通名であるはず。しかしIn-で始まるクウェニャ名を持っているとすると…ノルド=地のエルフ、テレリ=海のエルフ、シルヴァン・エルフ=森のエルフ、とイメージを並べた時、空あるいは星のエルフにふさわしいのはやはりヴァンヤです。
もちろん、彼が実はヴァンヤなのでは、というのは深読みし過ぎでしょう。ただ、トールキンの世界には意図的な欠落があります。
トム・ボンバディルはマイアであるのか?
ギムリは本当に西方に渡ったのか?
そもそもホビットの起源は何なのか?
彼は、旧教教義のような緻密な体系ではなく、所々薄れて読めず、時に相互に矛盾すらする神話・伝説集を創作しているのです。Gildorがヴァンヤであれノルドであれ、フロド達一行にとっては最初に出会う、まさにEldarの代表です。ビルボが初めてエルフに出会ったのも、星明かりのまたたく下でした。かつてオロメが、彼等の歌声を初めて耳にした時もそうでした。
私は「指輪」を読み返すたびに、かつてはあまり面白いと思えなかった導入部の旅に、ますます惹かれていくのを感じます。ガンダルフとはぐれたフロド達がアラゴルンに会うまでの、もし映画にするならば大幅に削らねばならないだろう、あの旅です。Nazgûl、Gildor、Bombadil、そして塚人。敵、エルフ、精霊、そして死者。敵意、哀しみ、喜び、そして虚無。彼等は、それぞれの歴史の代表でもあります。本当は3番目にあげられなければならないのが、Maggot。「ウジ虫」という、さしもの瀬田氏をして意訳を放棄せしめた英語名を持つ彼は、フロド自身の個人的な歴史の証人であり、だからこそ友情と歓迎、そして故郷を象徴するものとして、どうしてもフロド達を馬車で送り、茸を振る舞わねばならない。昔は、旅を終えて目にするホビット庄に彼の姿がないのを不満に思ったものです。今は、それが必然なのだと思えます。塚人は消え、ナズグルは滅び、ボンバディルは姿を見せない。マゴットも、少なくともフロドに会ってはならないのです。フロドにはもはや、Gildorと共に哀しみを運び去る仕事しか、残ってはいないのですから…
ううむ、我ながらそこそこ格調高く、しかしやっぱり分量的にはえらい問題があるなあ。実は、がちゃがちゃと掲示板に書き込むより、やはりある程度自分でまとめておかないと迷惑がかかると考えたんですが、メールだとどうしても長くなります。まあ今回の場合、推論過程の説明が非常にくだくだしくなってしまったんですが…論文+注釈という得意のパターンなら、も少し何とか…(汗)アクセント記号はまず間違いなく化けるので、後置式。少なくとも『シルマリル』の原書くらいは参照検討しないと、とんでもない的外れになってるかも知れませんが、多分-ionの解釈についてはこれでいいんじゃないか、と思います。他の方の御意見も伺ってみて頂けると嬉しいです。うーん、『シルマリル』の原書と『Unfinished』くらい入手する、何故か「責任」みたいなものを感じてきたなあ(汗)どこか大きな図書館にないかなあ。正直、金額もさることながら、注文してから届くまでかかるっていうのがどうも…
長文、大変失礼しました!
一つの刷に九つも日付のあった評論社はともかく、岩波のホビットでさえ、第10刷改版というのを出しています。第2版というのが筋では・・
後置式のアクセント記号は復元させて頂きました。
まずionについて。-ionがつく単語は人名か地名です。地名についてはまだよく調べていないので(調べても分からないかもしれませんが)、人名について。はっきりしているのが男性名に現れる接尾詞だということです。トールキンによって意味が訳されているのは、Ereinion=scion of kings (erein+ion)とLómion=son of Twilight (Lómë+ion)だけです。その他人名とは言えませんがHurinionath=descendants of Húrinというのが出てきます(ゴンドールの執政の家系)。-athはelenath, ennorath, pheriannathなどの例から分かるように集合名詞を示す接尾詞ですから、HurinionathはHurin+ion+athとなり、ionがsonとかscionといった意味を持つと考えられます。またアラゴルンとアルウェンの息子Eldarionは訳は出ていませんが、Eldar+ionで明らかにエルフ(アルウェン)の子の意味(エルフのようなではなく)でしょう。これらの例からionがson ofの意味を持つ場合があるのは明らかです。
ところでずっと以前、「シルマリルの物語」に読み耽った後「指輪物語」を読み直したことがあります。ギルドールたちが登場する場面になって「シルマリル」の世界が急に戻ってきたように感じたものです。塔山から戻る途中のエルダールに出会えたのはホビットたちにとっても読者にとっても大変な幸運だったのだと思います。そして勝手な想像になりますが、「ホビット」の続編を書いていたトールキン自身にとっても慣れ親しんだ上古の世界がここで立ち現れたような気がしたのではないでしょうか。当初トールキンはこのエルフたちが闇のエルフだとしていたのをある時点でノルドールに変えフィンロド王家のギルドール・イングロリオンと名乗らせることにしたのではないか、そうクリストファーが考察しているのは興味深いことです。
そこでInglorionに話を戻します。彼が自らフィナルフィン(フィンロド)の一族であると名乗りをあげていること(of the house ofは現行の通り「王家」あるいは一族と訳すべきなのはいうまでもありません。トールキンはhouseとhouseholdを使い分けています)と、Inglor(faithful)がこの頃フェラグンド王の名前だっとことを考えると、やはりInglorionはInglorの息子であるとするのが適切です。というより、エルフの名前の付け方なども考えると親子関係を考えない方が不自然です。
ギルドールがフィンロドの息子であるという考えに納得されない方が多いのは「シルマリルの物語」中にフィンロドは中つ国で妻子を持たなかったという記述があるからだと思います。しかしこの当時はまだフィナルフィン一族を含めノルドールの王たちについての構想は固まっておらず、ギルガラドがフィンロドの息子だという草稿さえ存在しているくらいですから、この時点でギルドールもフィンロドの息子だとトールキンが思い付いても別に問題は生じませんでした。そう考えるとgilで始まる名前のエルフがギルガラドとギルドールだけなのも意味深長です。
ここでの議論は、この当時トールキンがギルドール=フィンロドの息子と考えていたのではないかという事であって、ずっとそう考えていたと主張しているわけではありません。そういう解釈も可能だと考えてはいますが、ここでは述べません。
フィンロドの名がかつてInglorだっということはUnfinished Talesに初めて出てきます。しかし、ギルドール=フィンロドの息子説は「よみがえる影」でゴンドリンと裂け谷のグロールフィンデルが同一人物であったという草稿の存在が明らかにされ、第二紀以降にエルダールが中つ国にやってきた可能性をトールキン自身考慮していたと示唆されるまでは、前記の問題により冗談半分でしか語られませんでした。
追補版売ってないですねー、シルマリルも私の近所の書店には置いてありませんでした。てなわけで、また基本的な質問で恐縮ですが教えてください。今回は『指輪』そのものについての質問です。
- 本の扉に書いてある、あの有名な「三つの指輪は、空の下なる 云々」の詩なんですが、あの詩の主観というか、主体というか、つまり誰が、誰に対して、どのような状況で歌った物でしょうか? と、いうのは、あの詩はすべての指輪のおのおのの本来の所有者が記され、『一つの指輪』の優位性とその恐さが歌われています。このすべての情報を知っているものしか歌えないものです。てなると、Sauronがこの詩を作った? うーん、ちょっとしっくりきません。じゃ、Elf の誰か偉い人でしょうか?
- 『一つの指輪』は、最終的にサウロンが、滅びの山の火で鍛えた、とあります。では、エレギオンにまだサウロンが滞在していた時は、『一つの指輪』はどの状態だったのでしょうか? 最後の鍛錬が終了する直前だったのでしょうか? それとも『一つの指輪』は、あくまでもサウロン一人が、滅びの山で一から製作したものなのでしょうか?
- 『一つの指輪』以外の、3つのエルフ王向け、7つのドワーフの君向け、9つの人間向けの指輪は、誰の指示で、何の意図で作られたのでしょうか? サウロンがLoad of Giftsとしてエレギオンに近づいた時、彼の意図は巨大な力を持つ『一つの指輪』製作だけが目的だったのか、それとも他の19個も付随した目的の一つだったのでしょうか? それとも、「ひとつの指輪」制作過程における「試作品」的な意味合いだったのでしょうか?
- 指輪の幽鬼は、『9つの指輪』によって悪の道に導かれたようです。では、3つのエルフ用、7つのドワーフ用の指輪にも、そのような力があるのでしょうか? あるとしたらどのような力なのでしょうか? また、そのような悪の力があるとしたら、製作過程でエレギオンの細工師達は知っていたのでしょうか?
- 『指輪物語』の時点では、9つはサウロンが指輪の幽鬼に渡しています。7つのドワーフ向けもサウロンが所持しているようです。
- 3つのエルフ用のうち、一つはキアダン、もう一つは、えーとエルフの誰か持ってましたよね(すんません忘れました)、後一つは誰が持ってるんでしょう?
- また、9つの人間用、7つのドワーフ用、3つのエルフ用は、サウロンがエレギオンを去る時に持っていかなかったのでしょうか?
- 人間用の9つは、指輪の幽鬼用に持っていったのかな、とも思うのですが、その他は、特にドワーフ用の7つは、どのような経緯でサウロンが持つに至ったのでしょうか?
A 加津沙槻さんから回答を頂きました。さんからも回答をいただきました。
モルドォール! モルドォール! こーんーやーはー!(「ビートゥゲザー」のテーマで(伏線))
>JumpinJack様
今、原作が手元にないので、推論と記憶を頼りに書いてます。細かな間違いや勘違いや誤解があるかもしれません。ごめんなさいごめんなさい。(加津沙槻さん)
- サウロン様だと思います。あの詩が「あぶりだし」であったことを考えると、他の指輪の支配するぞという「呪い」の文句だったのでは。ボクは魔法使いじゃないので判りませんが(笑)。(加津沙槻さん)
- エレギオン滞在時、「一つの指輪」がどんな状況であったか不明です。想像ですが、他の指輪の作成過程を眺めつつ、どんな力を込めれば「一つの指輪」が上位にたてるか研究していたのではないでしょうか。(加津沙槻さん)
- ええと、一つの指輪について、ちょっと記憶だけでですが…。「鍛える」は多分単純にforgeだったでしょう。しかしそれよりもたしか、ケレブリンボールは姿を見たのではなくて、サウロンのつぶやきを「遠くから耳にした」のではなかったかな…。で、ガラドリエルがロリエンでやっていることなど考え合わせますと、もしその時ケレブリンボールが自分の作った指輪の一つをはめていたなら、エレギオンとオロドルインの距離など、「見る」にせよ「聞く」にせよ問題にならなかったのでは。フェアノールの孫であるケレブリンボールの、エルダールとしての潜在能力(?)が、ガラドリエルよりも下ということはないでしょう。(さん)
- まず、各種族の王に、強力な魔法の指輪(便宜上、「19の指輪」と呼びます)を送ります。その上で、こっそり「他の指輪を支配する」という能力を持った「一つの指輪」を作成します。そうすれば、労せずして中つ国の全種族を支配できるということです。策士が策に溺れてるね!
何でこんなことを考えたかというと、サウロンは元々、鍛冶のヴァラ・アウレ(ドワーフの作り手)に使えるマイアだったからですね。いかにも、元鍛冶のヴァラの部下の考えそうなことでしょう。
「19の指輪」の作成はサウロンがプロデュースし、エレギオンのエルフが作り上げたと思われます。エルフたちは騙されたわけですね。なにしろ当時のサウロンはカッチョなモテモテ君だったそうですから(笑)。サウロンがコムロでエルフはカハラやアミーゴ… あわわ(笑)(伏線回収)(加津沙槻さん)- さんの回答です。
- 3つと7つのちからの存在
前者については、「JampingJack殿、貴殿は私の話を聞いておられなかったのか?」(byエルロンド)
後者については、やはり『追補編』に言及があります。お楽しみに。- 指輪のちからについて
一つの指輪についてガンダルフやガラドリエルが語るセリフや、はめた時にサムの心に浮かんだ幻想などを読むと、おおよそのところは想像できます。おそらく9つも含め、指輪ははめる者を露骨に悪に誘うようなことはしないのです。そもそもの目的が何であれ、それを達成するための「力」を渇望し、所有し続けようとする意志に、指輪は火をつけ、また実際にも「力」を与えるのです。やがてはその手段としての「力」そのものが目的にとって変わり、所有者は権力(=指輪)への渇望のとりことなり、いかなる「善政」も圧制に変じてしまうのです。9つでさえ、単純な手下を作るための道具などではないのがポイントだと思います。これは私の想像ですが、はじめは善き意志でもって9つのうちの1つを手にしたが、ついに堕落させられ幽鬼となった誰かの「悲しい話」について、ガンダルフは何か知っているのではないかな…。
そして1つについては、サウロン自身に匹敵する者(この時代には殆どいませんが)がこれをはめれば、サウロンを打ち倒してナズグルを支配下におくことも潜在的には可能で、だからこそ彼は「いたずらにアラゴルンを恐れているのではない」(byレゴラス)のです。ガンダルフとデネソールの会話や、フロドとファラミアの会話も思い出して下さい。「(権)力」とその拒否、また「支配」と「統治」に関するトールキンの思想は、指輪の性格づけ以外にもあちこちに表れていて、まあ素朴ではあるかも知れませんが、非常に健全かつ「イギリス的」な民主主義思想でもあると思っています。他の(特にアメリカの)ファンタジーにはない、隠れた魅力の一つだと思います。
- たぶん、巧妙なトラップだったんじゃないでしょうか? 現代のテクノロジーであれば、「あれ? わけわかんないプログラムが組み込んであるなぁ、でもプロデューサーが必要だって言ってるんだから、まいっか」といったところではないでしょうか。Micro$oftの製品みた… あわわ(笑)
19の指輪単体で悪の道に引き込む力はなく、さらに上位の「一つの指輪」が別に存在していたというのがポインツです。(加津沙槻さん)- 加津沙槻さんの回答です。
- 火の指輪はキアダンが所有し、その後ガンダルフに譲渡されました。この指輪は人を奮い立たせる力があるからで、中つ国についたばかりのガンダルフの使命を一目で見抜き、譲渡したとあります。人を見る目ありすぎ。風の指輪はエルロンドが、水の指輪はガラドリエルちゃん(ちゃん言うなや)が所持しています。原作にちゃんと出てきますよん。
- 7つと3つは、すぐにエルフ・ドワーフの手で隠匿されました。サウロンはエレギオンのエルフを拷問してありかを聞き出そうとしましたが、7つについてはすぐに教えたモノの(ヒデェ)、3つについてはついに白状しませんでした。
- いろいろです。ちょっと書ききれません。不明なものもあります。(編註:『シルマリルの物語』下51頁によると、「龍たちの貪るところとなり、七つの指輪は火中に燃え尽きるか、サウロンの取戻すところとなった。」そうです。)
またまた、疑問が出てしまったので教えてください。
- 大堀町 町長とホビット庄 庄長の関係について
『旅の仲間』冒頭の序章『ホビット庄の社会秩序』の中で
- 『この時代のホビット庄で唯一の実際的な公務職は、大堀町の町長、すなわちホビット庄の庄長』と記載されています。大堀町はホビット庄の首府という記載もどこかでされていましたが、果たして町長 = 庄長と政治的に確定していたのでしょうか?
- もし 町長 = 庄長が確立されていたのなら、『町長としての唯一の仕事は、ホビット庄の祝祭日に催される宴会を主催云々』という記載は、町長ではなく、庄長としての仕事なのでしょうか?
- また、『町長職に付属している仕事に郵便局長と庄察長があった。』との記載も、町長ではなく庄長としての職務ではないでしょうか? 町長の職務としてならば、郵便及び庄察の及ぶ範囲は大堀町のみに限定されていたのでしょうか?
- 同じく『旅の仲間』冒頭の序章の『ホビットについて』の後半で、ストゥア族の記載がされていますが、その中で『雨でぬかるむ日には、ドワーフの長靴をはいた』との記載があります。
この記載の意味が良くわかりません。以上により、『ストゥア族』・『ぬかるむ日』・『ドワーフの長靴』の三点で、作者は何が言いたかったのでしょうか?
- ストゥア族は、『川辺を好み』、『岸辺に長くとどまり』、『川のほとりの沢地』に多く住んでいたので、ぬかるみを嫌う支族とは思われません。
- ドワーフとの接点はハーフット族が中心でした。
A さんと加津沙槻さんから回答を頂きました。
- ホビット庄と訳されている(The)Shireは、つまりランカシャーやバークシャーの「シャー」、そんなにきっちりした行政組織があった訳でもなさそうです。「町長」のところは原文では、The Mayor of the Michel Delving (or of the Shire) となっていて、「町長」と「庄長」にそれぞれ別の語があるわけではありません。つまり、正式には大堀町のMayorだが、実質的には庄全体のMayorである、といったニュアンスではないかと思います。
ここからは私の想像ですが…。
ピピンが自分の父を「地主」といっているように、Old(Brandy)buck家やTook家は、つまりかつての「領主様」で、それぞれその領地を実質的にも支配していたのではないでしょうか。
「指輪」の時代にも、Bucklandでは「館主」の権威が受け入れられていたとありますし。
またサムワイズの系図には、居住地が姓として定着していく過程が示されていますが、Bagginsももとは「Bag-Endの旦那様」くらいの意味だったのかも知れません。
そうした封建的な統治形態の中で、大堀町は(おそらく唯一の)一種の自治商業都市だったのでは。市の日に町長を選ぶ、というのも暗示的です。封建領主達の支配が形骸化するにつれ、庄で唯一の公選職である大堀町長が、庄全体の郵便・警察業務を担うようになっていったのではないでしょうか。
少なくとも、水の辺村や締金村にそれぞれ「村長」がいたとは思えません。従ってMayorといえば即ち大堀町長、実際的な行政業務は彼にお任せ、ということだったのだろうと想像しています。 だからこそ、大堀町に住んではいないサムがMayorになれたのでしょう。(さん)
- 「嫌っている」という記述が発見できませんでした。(加津沙槻さん)
- 単に、ホビットとしては珍しく、靴を履く時があったということが言いたかったのでは。うーん、川辺の民が長靴を履いていてはいけない理由もないですし、長靴はドワーフ→ハーフット→ストゥアというふうに伝わったとか思ってますが。(加津沙槻さん)
以下のようにNumenor王国とその後の後継を理解したのですが、なんか大きな勘違いをしてるようです。添削してもらえないでしょうか?どうも『統一王国』てところでつまづいてるような気がするんです。どうかよろしくお願いします。
- NumenorはMiddle earth西方の海に浮かぶ島の名前であると共に、そこにできた王国の名前であり、初代王はエレンディルである。また、Numenor人はすべて 人間族である。
- ただし、人間族はNumenor島だけでなく、Middle earthにも存在したが、国家形成は行わなかった。
- 太陽の第二世紀3319年に地殻変動がおこりNumenor島は沈没した。その時点でNumenor王国は終わった。
- Numenor沈没後、そこを脱出した Human族とその子孫は Dunedainと呼ばれる(国名ではない)
- 脱出した Dunedainは、Middle earthで翌年3320年に二つの国、Arnor王国とGondor王国を建国した。(各々の初代王は誰だったのでしょうか?)
- 二国は、エレンディルによって統一された。(国名はなんだったのでしょうか?)
- 上記統一王国の最後の王はイシュルドゥアである。彼はサウロンから指輪を奪い、Mondor王国を滅ぼした。
- 第三世紀 2年イシュルドゥアはあやめ野の戦いで敗北し、指輪はアンドゥイン川の流れに失われた。これによって、統一王国は崩壊し、再びArnor王国とGondor王国に分裂した。(各々の初代王は誰だったのでしょうか?)
- arnor王国は8代続いたが、エウレンダー王の死後内乱が発生し(なぜでしょうか?)滅亡した。王国は、アルセダイン国・ルダウア国・カルドラン国の三つに分かれるが、すべてDunedainの血を引く人間族の王国である。
- そのうち、本来のArnor王国の正統を主張できるのはアルセダイン王国であり、その為アルセダイン王国は引き続きArnor王国と表現される場合がある。
A どの資料までを参照するかは立場がいろいろあるのですが、とりあえず、『追補編』をざっと見たところでは次の通りです。
さんと加津沙槻さんから補足を頂きました。
- 『追補編』9ページによるとヌメノールの島の名前は「エレナ大島」です。
- Númenorの初代王はエレンディルではなく、エルロスです。これはエルロンドの兄弟ですから、王家には人間だけでなくエルフの血も入っていることになります。つまりアラゴルンは、自分の大々 々 々 々 々 々 々 々 々…(中略)…大伯母さまと結婚した訳ですね。(さん)
- ヌメノールには「アカルラベース」「アタランテ」といった異称もあります。おそらく、後者が「アトランティス」の語源になったという構想なのでしょう。(さん)
- 「東夷」とか「ハラド」がいつごろからあるのか確認出来ないので、「国家形成は行わなかった。」と言い切れるかは?です。
- 「太陽の第二世紀」という記述はどこにあるのでしょうか? 第二紀のことでしょうか? 『追補編』12ページによると「地殻変動」の原因はアル=ファラゾンがヴァリノールを攻撃したことです。
- ヌメノール没落については、「アカルラベース」(『シルマリルの物語』に収録)が詳しいですよん。(加津沙槻さん)
- 『追補編』索引によると「ドゥネダイン」はヌメノール国人も含むようです。
- デュネダインというのは「西方の人々」の意で、おそらく「上のエルフ」同様の通称でしょう。これの単数形が「デュナダン」とビルボが解説してくれてますが、原文では「音に聞こえし」ではなく、単に"The Dúnadan" となっていて、これはトゥックの族長を"The Took"と称するのと同じような用法ですね。(さん)
- 『追補編』13ページによるとエレンディルとその息子たちがアルノールとゴンドールを建国し、エレンディルが上級王として北方のアンヌミナスを治め、南方の統治はイシルドゥアとアナリオンに委ねたとあります。
- 前項を参照ください。特に上級王の統治の範囲を示す名称は見当りません。
- モルドールを「王国」としているところは見当りませんでした。
- モルドールがツブれた原因はサウロンの(一時的な)消滅ですが、サウロンはエレンディルとギル・ガラドの上級王コンビと相打ちになり、その後指輪を(折れたナルシルの刃を使って)サウロンの指ごと切り落したのだそうです。(加津沙槻さん)
- 『追補編』14ページによるとあやめ野の殲滅の後、北方王朝はヴァランディルが継ぎました。『追補編』15ページによると南方王朝はアナリオンの後第二紀3440年からメネルディルが王になっています。
- 『追補編』18ページによるとエアレンドゥアの死後息子たち同士の不和のため王国が分裂したとあります。
- アルセダイン側の視点からすれば、正統性は、アムライスが長男だったこと、旧アルノールの王都であるフォルノストを継承していること、等から主張されたのでしょうね。追補編18,19頁にほのめかされています。(さん)
「ホビットの冒険」も「指輪物語」も、初版の初刷で読んでいます。瀬田貞二氏の訳で、「指輪物語」が刊行されていたのが、10代の後半と重なります。
ただ「王の帰還 下」だけは、出版が待ち切れずに、ペーパーバックを買って、身の程も弁えずに読みました。一週間で読破しました。バレンタイン・ブックス版で、1973年3月刊の36刷です。表紙が、図案化した怪物が進軍する軽薄なデザインで、がっかりした記憶があります。寺島龍一さんの荘重な挿し絵とは、比べるべくもありませんでした。銀座のイエナ書店には、これしかなかったのです。アラン・リー氏を始め、綺羅星のごとき才能が、百花繚乱と言える現在からすると、隔世の感があります。翻訳家の井辻朱美さんと、以前に一度だけ銀座の喫茶店で、話をする機会があったのですが、彼女もこれと同じもので、読んだとおっしゃっていました。作家の伊吹秀明君と岡野麻里安さんが一緒でした。
この本は、ぼくに翻訳の文章というものについて、考えさせるっきかけになってくれました。
たとえば、次のような言葉がありました。
「The Third Age was my age, I was the Enemy of Sauron; and my work is finished. I shall go soon. The burden must lie now upon you and your kindred.」
ガンダルフが、自分の後継者であるアラゴルンに、その正体を自らの言葉で、ついに明白にする重要な場面ですね。大文字のEnemy。助動詞shallの効果。人間ではない主語burdenの重み。そして、your kindredという予言。どの単語にも、ガンダルフの強い気迫を感じさせられました。涙が出るほど興奮した記憶があります。それを、瀬田氏は、次のように流麗にさらりと訳していました。「第三紀は、わしの時代じゃった。わしはサウロンの敵じゃったからな。そしてわしの仕事は完了した。まもなくわしはいくことになろう。重荷は今度はあんたとあんたの種族が負わねばならぬのじゃ。」
意志よりも、諦観を感じさせる、老賢者の穏やかなものの言い方でした。初読の際に、強い違和感を感じました。瀬田氏は、セミコロンとピリオドを混同されています。接続詞は、累加並列の「そして」ではなく、説明補足の「つまり」ではないでしょうか。「つまり、わしの仕事は完了したんじゃ。(だからして)まもなくわしはいくことになろう」
「kindred」は、人間一般としての「種族」ではなく、ここはアラゴルンの「一族」であり「子孫」のことを、意味しているように思いました。そうでないと、次のニムロスの「子孫」の若木の発見から、アルウェンとの婚姻へと結びつかないように思えました。実際には、ガンダルフには、第4紀が人間の時代になるという洞察がありますから、ここはあくまで程度の問題に過ぎないでしょう。
それでも、この時に、翻訳とは作品の一つの解釈なのだということを、教わりました。その後の読書の方向を変える経験でした。できるだけ原文にあたり、不可能な場合には、日本人の書いたもので我慢するという態度です。
瀬田氏の訳を、貶めようとするつもりは、全くありません。ぼくは、氏の訳で「指輪物語」の世界を生きたのであり、それは後世に、より正しい訳文や訳語が提示されても、容易に変えられないものです。感受性の鋭敏な十代に、この大作に出会えたことを、彼には感謝しています。
数年前に『指輪』の原書を手に入れて以来の疑問なのですが、メリアドクの結婚や子供について、原書の様々な版ではどの様に記述されているのか、どなたか教えていただけないでしょうか。私が持っているのはBallantineのペイパーバック53版(1976)で、追補編Cの家系表から、メリーと三歳年下のエステラ・ボルジャーとの結婚がはっきりと、またこのエステラがフレデガーの妹らしいことがやや曖昧に、それぞれ読みとれます。しかし追補編Bの年代記は邦訳されたものと同様です。
実は邦訳(旧版)を読んだ時から、年代記の記述については気になっていました。『二人は……めいめいの息子に譲り』とあるにもかかわらず、トゥック家や髪吉家のその後に比べ、ブランデーバック家については余り触れられていません。年代記編纂はトゥックのスミアルで行われたらしいので、その頃館主家と選侯家の関係があまり良くなかったのだとも考えられますが…。
A 手元にあるJ.R.R. Tolkien, A Descriptive Bibliography by Wayne G. Hammond and Douglas A. Andersonによると、Ballantine Booksの初版(1965)で系図のエステラ・ボルジャーが追加されたそうです。したがって、The Complete Guide to Middle-earth by Robert Fosterのようなアメリカで作られたトールキン人名事典的なものには「メリアドクはエステラ・ボルジャーと結婚した」とあるのですが、たとえば、1977年のUnwin Paperbacksには吸収されていないのがちょっと疑問です。
さんからの追加コメントを頂きました。私見ですが、現在に至るもアメリカ版のみということなら、トールキンのあずかり知らない誰かの補筆という可能性が高いですね。
1965年といえば、邦訳旧版が依拠している本国版の前年、彼は「著者ことわりがき」でいう「改訂」作業をしていた筈で、翌年出版された本国版に反映されていないのは不自然。それに、これは改めて確認したのですが、エステラの名前には、トゥック側の系図でも、ブランデーバック側の系図でも、下線が引かれていません。しかしフレデガーの五歳下の妹が、あの宴会に招ばれない訳がありません。 結婚相手だけ載っていて、館主家の後継ぎの名がないのも変です。
アメリカの翻訳では、原書の構成や表現にかなりの(勝手な)変改を加えることが多いと聞きます。これはもちろん「翻訳」じゃないですが、ことがハリウッド的なロマンス~ハッピーエンド世界観に関わるものだけに、どうもあやしいような気がします。 偏見かも知れませんが、わざわざメリアドクのお相手を用意した上で、名前に下線を引くのを忘れるあたり、非常にアメリカンな感じがするのですが…。
トールキン自身としては、あえて伝説の穴として残しておいたのではないでしょうか。高橋さんはじめ、みなさんの意見はいかがでしょうか?
その後、alt.fan.tolkienでも聞いて見たのですが、最近の版ではエステラは宴会に出ているという答でした。では、Ballantine BooksだけがおかしいのかとWayne G. Hammondさんにメールを出して見たら、次のような回答を頂きました。
Dear Makoto,Thanks for your message. I mean that as more than a courtesy, for while seeking to answer your questions I discovered some interesting (if minor) points to be made as addenda and corrigenda to my bibliography, and elsewhere as well.
>Your A Descriptive Bibliography says that Estella Bolger
>was added in 1965 to Ballantine Books edition.I corrected this in an issue of The Tolkien Collector. In fact Estella Bolger was added in the third impression (1966) of the Ballantine Return of the King. But I had not noticed before that she was added not only to the Brandybuck family tree, as Merry’s wife, but also to the Took family tree, as the sister of Fredegar Bolger.
>My friend says her name is not underlined in Ballantine Books 1976.That’s correct.
>In alt.fan.tolkien, I heard that her name was underlined in later editions.
>Was her name underlined in 1965 and dropped for paperback of 1976?
>Or, was the underline added in later edition?Estella Bolger’s name, in both of the family trees in which she appears, is not underlined in any printing of the Ballantine edition. The underline appears to have been added first to the Houghton Mifflin edition of 1987, and has continued into the current British and American reset editions.
Best wishes,Wayne
つまり、とのことのようです。
- Ballantine Booksの1965年でなく、third impression (1966)で、エステラ・ボルジャーは追加されました。
- ここでブランディバック家の系図にメリアドクの妻としてとトゥック家のフレデガーの妹として掲載されていました。
- ただ、Ballantine Booksではどの版でもアンダーラインはなく、1987年のHoughton Mifflin版で初めて現われ、現在のイギリスやアメリカの改訂版にも導入されました。
さんからHarperCollinsの1999版のぺーバーバックのDouglas Andersonさんの「NOTE ON THE TEXT」についての情報を頂きました。
トールキンは1966年にBallantineに改訂原稿を送り、これにEstella Bolgerの追加が入っていました。この改訂が、7月の第3刷と8月の第4刷に取り入れられました。なぜか、英国の3巻本には長く取り入れられず変則な状態が続いていました。
1987年のHoughton Mifflin版でようやく、この訂正が取り入れられました。この版からテキストが電子化されて今後のテキストの統一に資することとなりました。
本の表紙に書いてあるキアスやフェアノール文字は何と書いてあるのでしょう。表紙の上は何となく読めそうなのですが、下の段半ばで挫折しました。ずーっと気になって仕方がありません。表紙の四隅の文字も、何なのだろう?と気になります。A 『指輪物語』の扉の上にはアンゲアサスがあります。これについては、追補編E2 書記法に音価の表(普及版170,171ページ)があります。この表によると次の通りと思われます。
キアスの番号 | 11 | 55 | ・ | 31 | 50 | 12 | 9 | ・ | 50 | 4 | ・ | 11 | 55 | ・ | 12 | 39 | 36 | 35 | ・ | 8 | 12 | 48 | 22 | 35 | 31 | 48 | 8 | 9 | ・ | 3 | 12 | 50 | 6 | ・ | 11 | 55 | ・ | 12 | 46 | 9 | ・ | 2 | 51 | 18 |
音価 | dh | e | l | o | r | d | o | v | dh | e | r | i | ng | s | t | r | a | n | s | l | a | te | d | f | r | o | m | dh | e | r | e | d | b | oo | k | |||||||||
英語 | The | Lord | of | The | Rings | translated | from | the | Red | Book |
テングワールの番号 | 14* | 22 | 29 | 1 | 18 | 21 | 3 | 6 | s | 7 | 33 | 17 | 25 | 17 | 27 | 5 | 25 | s | s | 27 | 1 | 27 | 4 | s | 17 | 33 | 25 | 17 | 31 | 29 | 1 | 10 | 21 | 9 |
音価 | of | w | es | t | m | ar | ch | b | y | j | h | on | r | on | al | d | r | e | u | el | t | ol | k | i | en | h | ere | in | iz | s | et | f | or | th |
英語 | of | Westmarch | by | John | Ronald | Reuel | Tolkien. | Herein | is | set | forth |
テングワールの番号 | 13* | 33 | 29 | 1 | 25 | s | 14** | 22 | 21 | 14** | 25 | 20 | 5 | 13* | 25 | 1 | 6 | 5 | 14** | 4 | 20 | 32 | 29 | s | s | 5 | 6 | s | 13* | 33 | 6 | 1 |
音価 | the | h | is | t | or | i | of the | w | or | of the | r | ing | (a)nd | the | r | et | ur | n | of the | k | ing | az | s | e | e | n | b | y | the | h | obb | its |
英語 | the | history | of the | war | of the | ring | and | the | return | of the | king | as | seen | by | the | hobbits. |
左上 | 右上 | 左下 | 右下 | |
---|---|---|---|---|
3巻本の表紙 | 18番 k(下向き) | 11番 dh(下向き) | 35番と中黒 | s 36番 z |
3巻本の裏表紙 | 13番 ch | 12番 n | 51番 o(下向き) | 6番と中黒 |
普及版の表紙 | 18番 k | 11番 dh | 35番 s と中黒 | 36番 z |
文庫版の表紙 | 12番 n | 31番 l | 11番 dh | 6番 m |
- 「ルーン文字」というのは歴史上、現実に存在する文字なのでしょうか?
- 現実に存在するのなら、起源とか使われていた地域はどこなのでしょうか?
A 世間一般で使われている「ルーン文字」とは『広辞苑』(第三版)によると、
古代ゲルマンの文字。ギリシア文字から変形発達。魔除け・墓荒し除けのために、刀剣や墓石に彫り刻まれた長短の直線形の文字。キリスト教の普及と共に次第にすたれる。とあります。ラテン文字との対応も自然で、だいたい見当が付きます。『ホビットの冒険』の英語版ではタイトルに使われたり、スロールの地図にも書かれています。スロールの地図は日本語版でも載っていますが、英語の文章をルーンに置き換えているので英語版がないと対応が付きません。
Dungeon and DragonでHobbitでなくhalflingを使ったのは、著作権のためという話はどこが起源ですか?
A 「著作権のため」というのはHobbitのような単語の場合当てはまらないのですが、なぜか広く流布しているようです。ほとんどパターンが一定しているので何か一つのソースがあるはずですがまだ見つかっていません。この話が出るたびに「どこに書いてありましたか?」と聞いて回っているのですが・・・
さんから次のお知らせを頂きました。さて、“Hobbit”と著作権の噂の出所を探しておられるとのことですが、私が見た最古の記録は東京創元社のゲームブックに折り込まれていた“Adventurer’s Inn”という小冊子と新刊案内の中間のようなものです。 その文章を書いたライターが誰なのかとか、出典はどこなのかということは全く記憶にありません。なにせ10年ほど前、小学生のころのことなので…。実家の押入れにつまっているかもしれませんけど…。
当時はゲームブックがブームで、それを足がかりにテーブルトーク RPG のプレイ人口を増やそうと努力されていたようで、小説案内や種族紹介、武器紹介などの企画があったように記憶しています。
この“Hobbit”の件をはじめとして、今に続く勘違いファンタジーの布石となるようなものもありましたが、楽しい時代でした。
『フィルムブック指輪物語』前編とありますが、後編はないのですか?
A バクシの映画の後編が作られていないので、今の所出ていません。現在でも前編は手に入ります。高橋の場合、「トールキン好きです。」と話すと一番多く聞かれる質問です。