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私的 児童文学作家事典〔海外編〕タ行

2018年7月15日 鈴木朝子

タウンゼンドジョン・ロウ Townsend, John Rowe(1922~2014)
イギリスの児童文学作家・評論家。リーズ生まれ。ケンブリッジ大学を卒業。新聞や雑誌の編集に携わり、「マンチェスター・ガーディアン」紙の副編集長となる。子どもたちの現実をリアルに描いた作品を執筆し、処女作『ぼくらのジャングル街』(1961)ほかの作品では、下層階級の子どもたちのたくましい生き様を描く。自分とは何かを確認する『アーノルドのはげしい夏』(1969)は、向上を示していないと論議を読んだが、あるがままの現実を見すえた厳しいながら納得もいく作品で、ボストングローブ・ホーンブック賞、エドガー・アラン・ポー賞を受賞。低学年向けやヤングアダルト向けの作品もある。評論に、独創的な意見に満ちた『子どもの本の歴史』(1965,1974改訂)などがあり、大学で児童文学についての講義も行う。
ターナー,フィリップ Turner, Philip(1925~2006)
 イギリスの児童文学作家。カナダのブリティッシュ・コロンビア州ロスランドに生まれ、生後6カ月でイギリスへ移住。パブリック・スクール卒業後、第二次大戦中は海軍航空隊の機関士を務める。戦後オックスフォード大学、チチェスター神学大学を卒業して牧師となり、BBCの宗教放送のチーフやパブリック・スクールの教師も務める。ヨークシャーの架空の町が舞台の『シェパートン大佐の時計』(1964)は、さりげないユーモアと暖かい人間味をまじえた日常生活の中で、3人の少年たちが謎解きをする味わい深い物語である。続編の『ハイ・フォースの地主屋敷』(1965)で、カーネギー賞を受賞。他に同じ主人公たちの続編がさらに数作ある。
ダール,ロアルド(ローアル) Dahl, Roald(1916~1990)
 イギリスの作家。南ウェールズのランダフ生まれ。両親はノルウェー人。パブリックスクールのレプトン校を卒業後、シェル石油の外国駐在員としてアフリカに赴任。第二次大戦中は空軍のパイロットとなり、墜落して重傷を負う経験もする。1942年にアメリカに渡り、「ニューヨーカー」誌などに皮肉な笑いに満ちた短編小説を執筆。のち短編集『あなたに似た人』(1953)などにまとめられ、エドガー・アラン・ポー賞を受賞。映画やテレビの脚本も手がける。1953年に結婚(1983年に離婚)、自分の子どもたちに語ったことから子ども向けの物語を書くようになる。グロテスクで残酷な面があるものの、子どもに喜ばれるユーモアに満ちた楽しい冒険を描き、『チョコレート工場の秘密』(1964)は世界的なベストセラーとなる。他に不思議な力のある指を持つ少女の物語『魔法のゆび』(1966)、ウィットブレッド賞を受賞した『魔女がいっぱい』(1983)など多くの作品がある。
ダレル,ジェラルド Durrell, Gerald(1925~1995)
 イギリスの作家。インドのジャムシェドプール生まれ。3歳のとき父親が亡くなりイギリスに戻る。1935年からの3年間はギリシャのコルフ島で暮らす。のち動物生態学を学んでウィップスネード動物園の園長となり、数多くの動物記を執筆。1958年にジャージー野生動物保護協会を設立するなど、世界各地の絶滅に瀕している動物の保護活動を行い、講演、テレビ出演、映画製作などを幅広く行う。ギリシャ時代の経験から生まれた『虫とけものと家族たち』『鳥とけものと親類たち』『風とけものと友人たち』の三部作やアフリカへの動物採集旅行記『積みすぎた箱舟』、妻との共著の『ナチュラリスト志願』のほか、子どもたちが不思議な動物の国の危機を救う『小包の運んできた冒険』(1974)のような子ども向けの物語など、多くの著作がある。
ダンロップ,アイリーン Dunlop, Eileen(1938~  )
 イギリスの児童文学作家。スコットランド生まれ。小学校教師を務めるかたわら、創作活動を行う。1990年に専業作家となる。スコットランドを舞台にした幻想的な作品を執筆。古い館で起こる不思議な出来事の謎を追う子どもたちを描くゴースト・ファンタジー『まぼろしのすむ館』(1987)は、細かく美しい描写でカーネギー賞を受賞。趣味は料理、読書、庭いじり、観劇。

チャーチ,リチャード Church, Richard(1893~1972)
 イギリスの作家・詩人・評論家。ロンドン生まれ。1911年に税関職員となり、公務員生活のかたわら詩、小説、文芸評論を執筆。のち出版社の顧問、ペンクラブの会長も務める。自伝『橋を渡って』(1955)でサンデー・タイムズの文学賞を受賞するなど、多くの賞を受賞。子ども向けの作品では、性格の異なる少年たちのスリルあふれる洞穴探険を描いた『地下の洞穴の冒険』(1950)と、その続編『ふたたび洞穴へ』(1957)などがある。
チャペック,カレル Čapek, Karel(1890~1938)
 チェコの作家。東ボヘミアのマレー・スパトニョビツ生まれ。プラハのカレル大学で哲学を、パリのソルボンヌ大学で生物学を学ぶ。ジャーナリストとして活動するほか、小説・戯曲・エッセイ・旅行記・子ども向けの物語など様々な作品を執筆。第一次大戦後のチェコスロバキアの初代大統領と親交があり、チェコの国民演劇の確立に努める。「ロボット」という語を作った戯曲『RUR』(1920)、小説『山椒魚戦争』(1936)などの社会風刺的なSF作品のほかに、園芸への愛情をこめた愉快なエッセイ『園芸家12カ月』(1929)、しばしば共作もした兄ヨゼフの挿絵をつけた、ほのぼのとした楽しい現代のおとぎ話集『長い長いお医者さんの話』(1931)など多くの作品がある。
チャント,ジョイ Chant, Joy(1944~  )
 イギリスの作家。図書館学の講師を務めたのち、専業作家となる。別世界へ入りこんだ3人の兄妹が、それぞれの形でその世界の善悪の戦いに関わっていく物語『赤い月と黒の山』(1970)は、トールキンの系列に連なる格調高く美しいファンタジーで、細部まで細かく考えられた世界とストーリーが見事な作品となっている。同じ世界を舞台にした続編や短編もある。
陳 伯吹 チン,ハクスイ(チェン,ポーチュイ) Chen, Bochui(1906~1997)
 中国の児童文学作家。江蘇省宝山県(現・上海市)生まれ。1922年から小学校教師となり、1931年からは子ども向けの雑誌「小学生」「児童雑誌」などの編集長を務め、そのかたわら体験に基づいたルポルタージュ、詩、小説、翻訳などの執筆活動を始める。日中戦争中は各地を転々としながらも創作を続ける。戦後は児童文学の分野で活動し、1946年に上海児童文学工作者連誼会を組織するほか、北京師範大学教授、中国作家協会理事、少年児童出版社副社長なども務める。文学を教育の手段とみなす面はあるが、ファンタジーやストーリー性の重視などを主張する。いばったネコの失敗談『ネコ大王のぼうけん』(1955)のほか多くの作品や理論書の著作がある。

ディキンソンディッキンソン),ピーター Dickinson, Peter(1927~2015)
 イギリスの作家。ザンビアのリビングストンで生まれ、幼少時をアフリカで過ごす。ケンブリッジ大学を卒業。「パンチ」誌の編集者として務めるかたわら、詩や評論などの執筆活動を続ける。1968年に専業作家となり、推理小説『ガラス箱の蟻』(1968)『英雄の誇り』(1969)で2年連続イギリス推理作家協会賞ゴールド・ダガーを受賞。パラレル・ワールドのイギリス王室を描く『キングとジョーカー』(1976)などのSFもある。凝った文体と複雑な構成で、少々変わった独特な雰囲気を持った作品を執筆。子ども向けの作品の分野では、『過去にもどされた国』(1968)に始まる、機械文明を破壊してしまったパラレル・ワールドものの<大変動>三部作、ガーディアン賞を受賞した古代エジプトをモデルにしたファンタジー『青い鷹』(1976)があるほか、その後の作品でも2年連続カーネギー賞を受賞する。
ディヤングデヨング),マインダート DeJong, Meindert(1906~1991)
 アメリカの児童文学作家。オランダのフリースランド州ヴィールムで生まれ、8歳のときアメリカに移住。カルヴィン大学を卒業。缶詰工場の臨時雇い、墓掘り人夫、大学の教師などをしたのち、農場を経営。動物やオランダの田舎町を背景にした作品で、幼いものと年とったものとのほのぼのとした心の通いあいをしばしば取り上げている。村に幸運を運ぶというコウノトリを呼ぼうと努める子どもたちを描いた『コウノトリと六人の子どもたち』(1954)で、ニューベリー賞を受賞。他に、少年と家族の心の動きを扱った『ぼくの黒うさぎシャデラク』(1953)、子猫の遍歴(?)物語『びりっかすの子ねこ』(1961)、少年と年寄り馬との交流を描く『丘はうたう』(1962)、全米図書賞を受賞した『ペパーミント通りからの旅』(1968)など多くの作品がある。1962年に国際アンデルセン大賞を受賞。
テイラー,シオドア(セオドア) Taylor, Theodore(1921~2006)
 アメリカの作家。ノース・カロライナ州生まれ。商船大学、コロンビア大学で学ぶ。第二次大戦では海軍士官として従軍。1946年に結婚。10代のうちからジャーナリストとして活動し、映画会社に勤めたのちフリーのライターとなる。映画の製作・脚本・ノンフィクションの執筆などを手がける。難破してカリブ海の孤島で黒人の老人と暮らすことになった少年の心の成長を描いた『ありがとうチモシー』(1969)では、ジェーン・アダムズ児童図書賞ほか多くの賞を受賞。
ディラン,アリッシュ(ディロン,エリーシュ) Dillon, Eilis(1920~1994)
 アイルランドの作家。西海岸のゴールウェイ近郊に生まれる。作品の多くは英語で執筆し英米でもよく読まれているが、アイルランド人の気質や風土を生かした作品を執筆し、アイルランド語の作品もある。宝探しに出かけて行方不明になった父親を探す少年の冒険物語『マナナンのかくれ島』(1952)、バイキングの遺物をめぐる謎と冒険の物語『うたう洞穴』(1960)などの作品がある。
デフォー,ダニエル Defoe, Daniel(1660~1731)
 イギリスの作家。ロンドン生まれ。非国教派の長老派の学校に学び、牧師の資格を得る。メリヤス商やタイル製造業など様々な商売を手がけて各国を旅行し、成功もするが、二度破産もする。その後政治にかかわるようになり、スパイ活動をしたり、社会や政治を風刺した詩やパンフレットを多数執筆し、中傷や反逆の罪で投獄もされる。1704年にはイギリスで最も初期の新聞の一つとなる「レヴュー」を発刊。小説としての処女作『ロビンソン・クルーソー』(1719)は、金儲けのために書いた、多分に教訓的な面を含んだ作品であるが、実在の人物の難破・漂流体験をもとにして、道具作りなど細部までリアルに書き込まれたところが子どもにも喜ばれるようになる。庶民階級の実際的な面がよく表現され、読みやすい文体で、今日まで興味深い冒険物語として読みつがれている。続編もある。
デュボア,ウィリアム・ペーン du Bois, William Pène(1916~1993)
 アメリカの児童文学作家・画家。ニュージャージー州ナトリー生まれ。8歳から14歳までフランスで教育を受ける。のち絵本や自分で挿絵を入れた物語を書き始め、19歳のとき処女作を出版。ヴェルヌの影響を受けて、豊かな空想力でユーモアと機知に富んだ暖かい人間味のあふれた楽しい作品を描き、出て来る装置などの描写の科学的な厳密さにも定評がある。退職した数学教師の気球と火山島をめぐる冒険物語『二十一の気球』(1947)でニューベリー賞を受賞。他に『巨人ぼうやの物語』(1954)や絵本の作品があり、挿絵の仕事もある。
デ・ラ・メア,ウォルター de la Mare, Walter(1873~1956)
 イギリスの作家・詩人。ケント州チャールトン生まれ。セント・ポール寺院の聖歌隊学校で教育を受ける。10代でアングロ・アメリカン石油会社に就職し、事務員として勤めるかたわら詩や小説を発表。1908年に専業作家となる。厳選された言葉によって、不安や恐怖を内に含んだ、幻想的で神秘的な美しさと不思議な雰囲気に満ちた多くの作品を著す。大人向けの作品では、小説『ヘンリー・ブロッケン』(1904)『死者の誘い』(1910)、子ども向けの作品では、ファンタジーの古典の一つとなっている、サルの兄弟の旅物語『ムルガーのはるかな旅』(1910)、詩集『孔雀のパイ』(1913)などがあり、「九つの銅貨」「魔法のジャケット」「なぞ物語」などを含む『子どものための物語集』(1947)で、カーネギー賞を受賞する。

トウェイントウェーン),マーク Twain, Mark(1835~1910)
 アメリカの作家。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ。ミズーリ州フロリダ生まれ。4歳のときミシシッピ川沿いの村ハンニバルに移住。12歳で父親が亡くなったため学校をやめ、印刷工として各地を転々する。1857年アマゾン探険を夢見て乗った蒸気船で航行技術を学び、ミシシッピ川の水先案内人になる。南北戦争勃発後南軍の志願兵になるが2週間でやめ、金鉱探しに行ったネヴァダ州で新聞記者になり、1870年に結婚。ユーモア小説や旅行記などを執筆して人気作家となり、講演家としても活動する。ユーモアとともに痛烈な社会風刺を含み、口語文体を用いてアメリカ文学を確立する。少年冒険小説の古典『トム・ソーヤーの冒険』(1876)、浮浪児と逃亡奴隷の河上生活を描き、現在でも差別問題などで物議をかもす代表作『ハックルベリー・フィンの冒険』(1884)のほか、そっくりの少年が入れ替わる『王子とこじき』(1882)、タイムトリップSF『アーサー王宮廷のヤンキー』(1889)など多くの作品がある。
ドーデドーデー),アルフォンス Daudet, Alphonse(1840~1897)
 フランスの作家。南フランスのニーム生まれ。父親の事業の失敗でリヨンに移る。中学に入るが中退して、中学の生徒監督となる。17歳のとき作家を志してパリに出、翌年出版した処女詩集が認められて文学好きの政治家の秘書に雇われる。詩・小説・随筆のほか戯曲も執筆し、しばしばオデオン座などで上演される。南フランスの風土と伝説を扱った短編集『風車小屋だより』(1866)、苦しい少年時代の自伝的小説『チビ君』(1868)、愛国的な「最後の授業」を収録した、自ら義勇兵として戦った普仏戦争とパリ・コミューンの内乱時代を題材とした短編集『月曜物語』(1873)は、豊かな感受性にあふれ、今日まで子どもを含んだ多くの読者を得ている。他に、戯曲『アルルの女』(1872)などの作品がある。
ドナルドソン,ステファン Donaldson, Stephen R.(1947~  )
 アメリカの作家。クリーブランド生まれ。3歳から16歳までインドで過ごす。大学卒業後、良心的兵役忌避者としてオハイオ州で病院奉仕に従事。『破滅の種子』(1977)に始まる<信ぜざる者コブナント>三部作は、ハンセン病患者である男が異世界の善悪の戦いに関わる読みごたえのある壮大なファンタジーで、生き生きとした異世界の細部に渡る描写の美しさと、主人公の頑なな態度の対比が興味深い。続編の三部作もある。
ドネリー,エルフィー Donnelly, Elfie(1950~  )
 ドイツの児童文学作家。イギリス生まれ。子ども時代をオーストリア人の母親とウィーンで過ごす。自由ベルリン放送の青少年部門で放送劇の脚本などを手がける。少年と祖父の心の交流と死を描いた処女作『さよならおじいちゃん…ぼくはそっと言った』(1977)で、ドイツ児童図書賞を受賞。両親の離婚に揺れる少女の心理と家族とは何かということを描いた『わたしはふたつにわれない』(1982)など、現代ドイツの社会と家庭の現実を扱った作品が多い。
トペリウス,サカリアス Topelius, Zacharias(1818~1898)
 フィンランドの作家。クッドネス生まれ。ヘルシンキ大学を卒業。1841年から60年まで「ヘルシンキ新聞」の新聞記者を務め、のちヘルシンキ大学の歴史学の教授となり、1875年から78年まで学長を務める。ロシアの支配下にあった国で祖国愛を育てようと、広く使われているスウェーデン語で詩や小説や劇などを数多く執筆する。子どものために自然と伝説とキリスト教精神を織りこんだ幻想的で美しい物語を書き、「フィンランドのアンデルセン」と言われて親しまれている。日本版の『星のひとみ』は『子どものための読み物』(1865)から「星のひとみ」「霜の巨人」など11編を選んだもの。
トーミン,ユーリー・ゲンナージエヴィチ Томин, Юрий Геннадьевич(1929~1997)
 ソビエト時代のロシアの児童文学作家。ウラジオストク生まれ。3歳のときレニングラード(当時)に移り、第二次大戦中はゴーリキーに避難。レニングラード大学物理学部を卒業後、シベリアで地質調査に従事する。のち小学校や専門学校などで物理を教えるかたわら、子ども向けの雑誌の編集や作品の執筆を始める。1962年からSFやファンタジーを書くようになり、不思議な現象を通して日常生活を見直していくような話を執筆する。作品に、魔法のマッチをめぐる騒動を描く『魔法使いがやってきた』などがある。
ド・モーガン,メアリ de Morgan, Mary(1850~1907)
 イギリスの児童文学作家。ロンドン生まれ。ウィリアム・モリスを始めとしたラファエル前派の芸術家らと親交があり、生涯独身で過ごすが、友人たちから物語の語り手として親しまれる。単なる昔話の再話ではなく、細やかな心理描写や鋭い文明批評を含んだ、静かだが心に残る物語を作り出し、3冊の物語集『針さしの物語』(1877)『フィオリモンド姫の首かざり』(1880)『風の妖精たち』(1900)を出版する。
トラヴァーストラバース),パメラ・L. Travers, Pamela Lyndon(1906~1996)
 イギリスの児童文学作家。オーストラリアのクイーンズランド州生まれ。父親はアイルランド、母親はスコットランドの出身。のちアイルランドからイギリスに移住。16歳頃からジャーナリスト、バレエ・ダンサー、舞台女優として活動するかたわら、新聞や雑誌に詩や物語を発表。ケルト文芸復興運動に関わったこともあり、第二次大戦中はアメリカのニューヨークでイギリス政府の文化広報局に勤める。病気療養中に書いた、口やかましく厳しいが不思議なことを引き起こすナース、メアリー・ポピンズの楽しい物語『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(1934)は、日常生活の中に豊かな空想を持ちこんだ形の優れたファンタジーで、続編『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(1935)『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(1943)なども書かれ、映画化もされた。
トリーズ(トゥリーズ),ジェフリー Trease, Geoffrey(1909~1998)
 イギリスの作家・評論家。ノッティンガム生まれ。オックスフォード大学に学ぶが、作家をめざしてロンドンに出てジャーナリストになり、貧民街でソーシャル・ワーカーをしたり、左翼運動に参加したりする。世界各地を旅行した経験や歴史を題材にした作品を多く著し、児童文学に関する評論も執筆する。現代の学校生活の中での子どもたちの謎解きを描いた『この湖にボート禁止』(1949)では、日常生活や人物の描写がしっかりしていておもしろく、『黒旗山のなぞ』(1951)ほか3冊の続編がある。他に歴史物語『ローマへの船』(1972)などがある。
ドリュオン,モーリス Druon, Maurice(1918~2009)
 フランスの作家。パリ生まれ。エコール・ド・サイエンス・ポリティクを卒業。第二次大戦時はフランス戦線で戦い、フランス占領後はイギリスでレジスタンスの呼びかけやそのための文章の執筆を行う。戦後は週刊誌の編集者を務めたのち作家生活に入り、三部作の第一作にあたる『大家族』(1948)でゴンクール賞を受賞。何にでも植物を育てることができる少年を通して戦争の愚かさを風刺した『みどりのゆび』(1957)は、教訓的ではあるが、詩的な美しい言葉で語られた印象深い物語である。
トールキン(トーキン),J.R.R. Tolkien, John Ronald Reuel(1892~1973)
 イギリスの作家・言語学者・文学者。南アフリカのブルームフォンテン生まれ。3歳のときイギリスに帰国、間もなく父親を、12歳のときに母親を失い、カトリックの神父のもとで養育される。オックスフォード大学を卒業し、第一次大戦に従軍。戦後『オックスフォード英語辞典』の編集助手、リーズ大学教授を経て、オックスフォード大学教授に就任。自分の子どもたちに語った話から生まれた『ホビットの冒険』(1937)は、読みごたえのある小人の冒険物語だが、その続編<指輪物語>(1954~55)は、専門を生かして細部まで構築された世界での善悪の戦いを描く壮大なファンタジーで、ベストセラーになって映画化もされ、以後この分野の古典となる。ファンタジーの現実逃避を肯定的にとらえた評論『ファンタジーの世界』(1964)、クリスマスに自分の子どもたちに送り続けた手紙をまとめた『サンタ・クロースからの手紙』(1976)などのほか、学術的な著作がある。

 詳細な著作リストについてはJ.R.R.トールキン著作版履歴一覧も参照のこと。

トルストイ,レフ・ニコラエヴィチ Толстой, Лев Николаевич(1828~1910)
 ロシアの作家。モスクワ南方のヤースナヤ・ポリャーナで伯爵家の四男として生まれる。幼少時に両親を失い、親戚の手で育てられる。カザン大学を中退して帰郷し、農村改革を志すが挫折。1851年コーカサス砲兵旅団に入り、クリミヤ戦争にも参加。この頃から『幼年時代』(1852)などの自伝的作品を書き始め、1862年に結婚。『戦争と平和』(1869)『アンナ・カレーニナ』(1877)などの大作を発表するかたわら、農民の子どもたちのための学校を開き、「コーカサスのとりこ」「三びきのくま」などの作品を載せた教科書を作る。社会に対する批判的な思想が強まり、論文『懺悔』(1882)を発表してキリスト教信仰を中心に生きることを表明。1885年頃書かれた「イワンのばか」「人はなにで生きるか」などの民話の再話は、単純な無駄のない文体で、真理を明確に伝えるものとして深い含蓄を持っている。他の作品に、後期の代表作『復活』(1899)などがある。

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